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先月『24時間テレビ「愛は地球を救う」』を見ていて、母の事を思い出した。

昔、初めて見た24時間テレビの印象がとても強く、子どもながらに必死で夜遅くまで見ていた記憶がある。
「もう、遅いんだから寝なさい」
という母の言葉を無視して居間で横になり、ときどき眠りこけながら見ていた(笑)

さらに昔、札幌テレビで坂本九さんが『ふれあい広場・サンデー九』という番組をやっていたのをなんとなく覚えている。
それは、養護施設に坂本九さんが訪れていたというあいまいな記憶なのだが、母はその番組が好きでよく見ていた。
坂本九さんが番組と無関係に近所のシャープの展示会へ来たとき、母は私を連れて足を運んだ。ゲストが坂本九さんだったからだろう。

坂本九さんと握手をして、気持ちが高揚した母は電子レンジを買い、それに坂本九さんのサインをもらう。
当時はかなり高価な電子レンジを買う母の金銭感覚がわからない。当時の金額で10万円くらい。今のお金の価値に換算すると30万円くらいになる!
その後、母は家にお客さんが来るたびにサイン入りレンジを自慢していた。

それから間もなく、飛行機事故で坂本九さんが亡くなってしまう。
遺品となってしまったレンジは、母にはショックだったのか見えないところに置いてしまう。
レンジを使うのは裏納戸まで行かなければ使えず不便だったのだが、母は新しいものを買うことなくそれは壊れるまで使われた。今思えば、母なりの供養だったのだろう。

それから、入れ代わるように24時間テレビが始まる。
私は興味津々に見ていたのだが、母はなぜか不機嫌だった。
当時は「子どもが夜遅くまで起きているからかな?」と思っていたのだが、そうではなかった。

ある障がい者特集を見ていて母が言った。
「そんな、たいしたもんじゃないよ」声にならない母の声。
「なにが?」
「障がい者だからって、そんな大変じゃないよ……」
こう言い放つ母も右足を失っている障がい者だった。

私はどう答えていいのかわからず複雑な想いだった。
―― 母は私が生まれた時から障がい者だった。普段は気づかないほど普通だけど、改めて障がい者と言われるのは嫌なのかな? 確かに、私も母が障がい者であることは友だちから改めて言われて「そうだったんだ」と思うほど当たり前になっている。このような番組は母にとっては複雑な想いなのだろう。

なんとなくバツが悪くなり私はその場を離れ自分の部屋へ行った。

「さより! ちょっときて!」母に呼ばれた。
「なに?」
「これ、持って行って!」
コーヒーの瓶にたくさん入っている小銭を私に渡す。
「どこに?」
「ぼ・き・ん」
母は24時間テレビの募金に持って行きなさいと私に渡したのだ。気づけば番組はもう終わりに近い。
私は慌ててお金を持って出ようとしたら、
「障がい者に、募金してあげないとね」と母が言う。
「いや、あなたも障がい者だから!」と、突っこむ私には母は微笑んだ。
「私は障がい忘れるほど幸せだから……」
目頭が熱くなる思いをさとられる前に私は急いで募金に向かった。

母は障がい者でありながら、自分の障がいを受け入れて自分で幸せだといえるほどのすごい人でした。
24時間テレビを見るたびにそのことを思い出す。私だけが知る母の思い出だ。

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